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『花子とアン』モデルは誰?翻訳家・村岡花子の実話と白蓮との友情を解説

NHK連続テレビ小説『花子とアン』(2014年前期)のヒロイン・安東はなは、『赤毛のアン』を日本に紹介した翻訳家・村岡花子(むらおか・はなこ/1893〜1968)をモデルにしています。「花子とアン モデルは実話なの?」「村岡花子ってどんな人?」「葉山蓮子のモデル・白蓮は実在するの?」——そんな疑問に、出典で裏づけながら答えます。ドラマで脚色された部分も整理しました。

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目次

『花子とアン』のモデルは翻訳家・村岡花子

ドラマの原案は、村岡花子の孫である村岡恵理さんが書いた評伝『アンのゆりかご 村岡花子の生涯』。これを中園ミホさんが脚色し、ヒロイン「安東はな」の物語として再構成しています。つまり、はなの人生は実在の村岡花子をなぞりながらも、あくまでフィクションとして膨らませられているのが基本構造です。

村岡花子の生涯(1893〜1968)

村岡花子は1893年(明治26年)6月21日、山梨県甲府市に生まれました。本名は安中はな(旧姓・安中)。ドラマのヒロイン名「安東はな」が実際の姓に近いことに気づいた視聴者も多かった部分です。

1903年、10歳のときに東洋英和女学校へ給費生として編入。ここでカナダ人宣教師から英語を学び、後の翻訳家としての土台を築きます。卒業後は教師や出版社勤務を経て翻訳・著述の道へ。1919年に村岡儆三(むらおか・けいぞう)と結婚し、村岡姓になりました。

1932年から1941年にかけてはNHKラジオの子ども向け番組に「ラジオのおばさん」として出演し、全国の子どもたちに親しまれました。戦後の1952年に『赤毛のアン』の翻訳を世に送り出し、以後モンゴメリ作品をはじめ数多くの児童文学を翻訳。1960年には児童文学への貢献で藍綬褒章を受章し、1968年10月25日、脳血栓のため75歳で亡くなりました。

『赤毛のアン』を日本に届けた経緯

『花子とアン』というタイトルそのものが示すとおり、村岡花子の代名詞は『赤毛のアン』の翻訳です。その出会いは、ドラマでも感動的に描かれました。

カナダ人宣教師から贈られた一冊

1939年、日本を離れることになったカナダ人宣教師ミス・ショーが、別れの際に花子へ一冊の洋書を手渡しました。それがモンゴメリの『Anne of Green Gables』だったとされています。やがて日本は戦時下に入り、英語は「敵性語」として扱われる時代になりますが、花子はこの原書を手放しませんでした。

戦火のなかで守り、戦後に翻訳出版

太平洋戦争中、花子は灯火管制下でこの原書の翻訳をひそかに進めていたといわれます。空襲のなかでも原書を守り抜き、終戦ごろに訳稿をほぼ完成させたという逸話は、ドラマでもクライマックスのひとつになりました。そして1952年(昭和27年)、三笠書房から『赤毛のアン』として出版。タイトルの「赤毛のアン」という日本語も花子の訳語によるもので、原題の直訳とは異なる、作品を一気に身近にした名訳として知られています。

その後もアンシリーズ全10巻、エミリーシリーズ、『フランダースの犬』『あしながおじさん』『王子と乞食』など、数多くの名作を翻訳しました。なお、原書が手渡された具体的な状況や年について史料によって細部の記述が分かれる部分もあるため、エピソードのディテールには諸説あると考えておくと安全です。

ドラマと史実の主な違い

『花子とアン』は実話をベースにしつつ、ドラマとして見やすくするための脚色が随所に入っています。代表的な相違点を整理しました。

名前・学校名はアレンジされている

項目 史実(村岡花子) ドラマ(安東はな)
安中(あんなか)/結婚後・村岡 安東(あんどう)
通った女学校 東洋英和女学校 修和女学校(架空名)
村岡儆三 村岡英治(モデルは儆三)
代表作 『赤毛のアン』翻訳 同(物語の核として描写)

学校名を「修和女学校」と架空名にしたのは、実在校をそのまま劇中で改変描写することへの配慮とみられます。実際の東洋英和女学院は、放送に合わせて村岡花子と同校の関わりを紹介する特設ページを公開しました。

幼少期や家族描写はドラマ的な創作が多い

甲府の貧しい家に生まれた長女が給費生として上京する、という大枠は史実に沿っていますが、家族構成や幼少期のエピソード、はなと周囲の人物のやり取りには、ドラマならではの創作・脚色が多く含まれています。「どこまでが実話か」を一字一句たどるより、人生の節目(女学校での学び→翻訳家への道→赤毛のアン出版)という骨格が史実に基づく、と捉えるのが実態に近い見方です。

葉山蓮子のモデルは歌人・柳原白蓮

『花子とアン』でもう一人の主役級だったのが、仲間由紀恵さん演じる葉山蓮子。そのモデルは、波乱の生涯で知られる歌人柳原白蓮(やなぎはら・びゃくれん/1885〜1967)です。蓮子は実在します。

白蓮とは何者か

本名は燁子(あきこ)。父は柳原前光伯爵で、大正天皇の生母・柳原愛子の姪、すなわち大正天皇のいとこにあたる高貴な出自でした。1911年に九州の炭鉱王・伊藤伝右衛門と結婚しますが、年齢差や境遇の違いから「不釣り合いな結婚」として当時話題になりました。

白蓮事件と村岡花子との友情

1921年、白蓮は年下の社会運動家・宮崎龍介との恋に走り、夫・伊藤伝右衛門に絶縁状を新聞紙上で公表して出奔します。これがいわゆる「白蓮事件」で、ドラマでも大きな見せ場になりました。

そして村岡花子と白蓮は、東洋英和女学校時代の同級生でした。白蓮は花子を歌人・佐佐木信綱の歌会に紹介したとされ、二人は生涯を通じた「腹心の友」と呼べる間柄だったと伝えられています。白蓮事件のあと、花子が一時は距離を置きながらも、のちに和解の手紙を送ったという逸話も残っています(細部には諸説あり)。ドラマで描かれたはなと蓮子の友情は、こうした実際の交流をベースにしたものだったのです。

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『花子とアン』はどこで見られる?

過去の朝ドラを見返したい場合、NHKの見逃し配信サービス「NHKオンデマンド」で配信されることがあります(配信時期は入れ替わるため、視聴前に最新の配信状況を確認してください)。原作の世界をあわせて楽しみたい人は、村岡花子訳の『赤毛のアン』や、ドラマの原案となった村岡恵理『アンのゆりかご 村岡花子の生涯』を手に取ると、はなの物語がより立体的に見えてきます。

まとめ

  • 『花子とアン』のヒロイン安東はなのモデルは、『赤毛のアン』を日本に紹介した翻訳家・村岡花子(1893〜1968)。
  • 原案は孫・村岡恵理の評伝『アンのゆりかご』で、姓や学校名はドラマ用にアレンジされている。
  • 『赤毛のアン』はカナダ人宣教師から贈られた原書を戦中に守り、1952年に翻訳出版された。
  • 葉山蓮子のモデルは歌人・柳原白蓮で、花子とは女学校時代からの実在の友人だった。

実話とフィクションが織り交ぜられているからこそ、モデルを知るとドラマがもう一段おもしろくなります。史実の村岡花子の歩みを思い浮かべながら、もう一度『花子とアン』を見返してみてはいかがでしょうか。

出典:村岡花子(Wikipedia)/柳原白蓮(Wikipedia)/東洋英和女学院「『花子とアン』からみる東洋英和女学院」ほか。一部の逸話は史料により細部が異なるため諸説あります。

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