NHK連続テレビ小説『マッサン』(2014年後期)は、ニッカウヰスキー創業者・竹鶴政孝と、スコットランド出身の妻リタをモデルにした物語だ。ただし主人公の名は「亀山政春」、ヒロインは「亀山エリー」であり、勤め先も「住吉酒造」「鴨居商店」と架空の名で描かれる。つまり『マッサン』はドキュメンタリーではなく、実在の夫婦を土台にしたフィクションである。だからこそ「どこまでが本当の竹鶴政孝なのか」「ドラマはどこを変えたのか」を知りたくなる人は多い。
この記事では、ドラマのあらすじを追うのではなく、実在した竹鶴政孝という人物の生涯そのものを一次資料・伝記の記述に沿って辿り、そのうえで『マッサン』が史実のどこを踏襲し、どこを脚色したのかを具体的に検証する。ウイスキーに人生を賭けた一人の技術者の実像と、そこにドラマがどんな解釈を加えたのかを、順を追って読み解いていきたい。
『マッサン』のモデルは竹鶴政孝|どんな人物か
『マッサン』というタイトルは、リタが夫・政孝を呼んだ愛称「マッサン」に由来する。ドラマではエリーが「マッサン」と呼びかけるが、これは史実の夫婦のやり取りをそのまま生かした数少ない要素の一つだ。まずは、そのモデルとなった竹鶴政孝がどのような人物だったのかを押さえておきたい。
竹鶴政孝は「日本のウイスキーの父」と呼ばれる実在の技術者である
竹鶴政孝は1894年(明治27年)6月20日、広島県賀茂郡竹原町(現・竹原市)に生まれた。生家は江戸時代から続く酒造業・製塩業を営む「竹鶴酒造」の家で、政孝は敬次郎とチョウの三男にあたる。日本酒の醸造家に生まれた青年が、やがてスコットランド仕込みの本格ウイスキーを国内で初めて手がける——この経歴の落差こそが、彼を「日本のウイスキーの父」と呼ばせる理由になっている。
竹鶴政孝は日本酒の家に生まれながら洋酒の道へ進んだ
政孝は大阪高等工業学校(現・大阪大学工学部)の醸造科で学び、1916年(大正5年)に摂津酒造へ入社した。当時の摂津酒造は洋酒の国産化に意欲を燃やしており、政孝は洋酒製造部門に配属される。日本酒の跡取り候補が家業を継がずに洋酒メーカーへ進んだこと、そしてその会社が本場スコットランドへ技術者を送り込もうとしていたことが、彼の運命を大きく動かすことになった。
竹鶴政孝はサントリーとニッカ、二つの日本ウイスキーの原点に関わった
政孝は帰国後、寿屋(現・サントリー)で山崎蒸溜所の初代工場長を務め、その後独立して大日本果汁株式会社(後のニッカウヰスキー)を興した。つまり彼は、いまも日本を代表する二大ウイスキーメーカーの草創期に、いずれも技術の中枢として関わった稀有な存在である。この「二社の原点にいた人物」という事実が、ドラマ『マッサン』で二つの造り酒屋が描かれる下敷きになっている。
竹鶴政孝の生涯|スコットランド留学から国産ウイスキーへ
竹鶴政孝の生涯を語るうえで欠かせないのが、20代前半での単身スコットランド留学だ。異国での学びが、そのまま日本のウイスキー史の出発点になっていく。ここでは彼の歩みを、資料に残る年号とともに時系列で確認する。
竹鶴政孝は1918年に単身スコットランドへ渡り本場の蒸溜技術を学んだ
1918年(大正7年)、政孝は摂津酒造の命を受けて単身スコットランドへ渡った。グラスゴー大学で有機化学と応用化学を学ぶ一方、現地の蒸溜所に頼み込んで実習を重ねる。エルギン近郊のロングモーン蒸溜所、そしてキャンベルタウンのヘーゼルバーン蒸溜所で、彼はウイスキー製造の工程を自らの手と目で確かめた。当時、東洋から来た一介の留学生に本場の蒸溜技術を開示してくれる蒸溜所は限られており、政孝は熱意で門戸をこじ開けていった。このとき実習で得た知見を克明に書き留めたノート(いわゆる「竹鶴ノート」)は、麦芽の処理から蒸溜、樽詰めに至るまでの工程を図解入りで記録したもので、後に日本でウイスキーを造るための貴重な設計図となった。日本酒の醸造家としての素養を持つ青年が、化学の理論と現場の職人技を同時に吸収したことが、帰国後の彼の強みになった。
竹鶴政孝は寿屋で山崎蒸溜所を立ち上げ国産ウイスキーの土台を築いた
1920年に帰国した政孝だったが、後ろ盾だった摂津酒造は戦後不況のなかでウイスキー計画を断念する。その技術を惜しんだのが寿屋の鳥井信治郎で、1923年(大正12年)、政孝は招かれて寿屋に入社した。彼は京都・山崎に日本初の本格ウイスキー蒸溜所を建設し、その初代工場長を務める。1929年(昭和4年)に発売された「サントリー白札(現・サントリーホワイト)」は、政孝が土台を築いた国産ウイスキーの最初の到達点だった。
竹鶴政孝は1934年に余市でニッカを創業し理想のウイスキー造りを実現した
やがて政孝は、より冷涼で湿潤なスコットランドに近い環境を求め、寿屋を離れて独立する。1934年(昭和9年)7月、北海道余市町に大日本果汁株式会社を設立した。山崎で本格的なウイスキーを完成させた実績がありながら、なお本場に忠実な立地を追い求めた点に、彼の妥協しない技術者気質がにじむ。余市はキャンベルタウンを思わせる気候と豊かな水に恵まれ、彼にとって理想の地だった。ウイスキーは仕込んでから製品になるまで熟成に長い年月を要するため、当初は余市名産のりんごを使ったジュースを製造・販売して資金をつないだ。この「りんごで会社を支えた雌伏の時期」は、後に語り継がれる創業の苦労として知られる。そして1940年(昭和15年)、余市で仕込んだ最初のウイスキーが「ニッカウヰスキー」として世に出る。社名の「ニッカ」は「日果(大日本果汁)」に由来し、これが後の社名にもなった。政孝は晩年まで会長として現場に関わり続け、1979年(昭和54年)8月29日、85歳で生涯を閉じた。
妻リタ(ジェシー・ロベルタ・カウン)の実像
竹鶴政孝の歩みは、妻リタの存在なしには語れない。異国から嫁ぎ、無名の技術者を支え続けた彼女の生涯は、それ自体が一つの物語だ。ドラマのエリーに投影された、実在のリタの姿を追う。
リタはスコットランドの医師の家に生まれた女性である
リタの本名はジェシー・ロベルタ・カウン(Jessie Roberta Cowan)。1896年12月14日、スコットランド・グラスゴー郊外のカーキンティロックで、医師の長女として生まれた。「リタ」は家族が呼んだ愛称である。少女期には音楽や英仏文学を学ぶなど教養ある家庭に育ったが、父の死や第一次世界大戦での婚約者の戦死といった喪失も経験している。恵まれた家庭の令嬢でありながら、若くして人生の陰りを知っていた女性だった。
リタは弟への柔道指南をきっかけに竹鶴政孝と出会い結婚した
二人が出会ったのは1919年。留学中の政孝が、リタの弟ラムゼイに柔道を教えるためカウン家を訪れたのがきっかけだった。リタがピアノを弾き、政孝が日本から持参した鼓を打つなど、音楽を通じて二人は親しくなっていく。しかし国際結婚への偏見が強い時代であり、カウン家・竹鶴家のどちらからも反対を受けた。それでも二人は意志を貫き、1920年1月、グラスゴーの登記所で略式の結婚式を挙げる。同年11月、リタは故郷を離れ、政孝とともに日本の地を踏んだ。
リタは無名時代の夫を支え、戦時下の苦難を越えて余市に眠っている
来日後、政孝がウイスキー事業の資金に苦しみ無職の時期もあったなか、リタは近隣の人々に英語やピアノを教えて家計を支えた。慣れない和装や日本の生活習慣を自ら身につけようと努め、周囲からは早くから「日本人以上に日本人らしい」と評されるほど、故郷を捨てる覚悟でこの国に根を下ろした。1924年には流産も経験し、実子には恵まれなかったが、養女・リマ(房子)と養子・威を迎えて家庭を築いた。第二次世界大戦下では、白人であるがゆえにスパイと疑われ、憲兵に監視されるなど心ない扱いを受けたことも知られる。それでもリタは日本国籍を取得し、夫の事業を陰で支えながら生涯を日本で全うした。1961年1月17日、肝硬変のため64歳で世を去り、北海道・余市の地に、後に政孝とともに眠っている。ウイスキー造りに命を賭けた政孝を「日本のウイスキーの父」と呼ぶなら、リタはまぎれもなく「日本のウイスキーの母」だった。
ドラマ『マッサン』と史実の違い|脚色されたポイント
ここまで見てきた実像を踏まえると、ドラマ『マッサン』が史実のどこを守り、どこを変えたのかが見えてくる。留学から創業までの大きな骨格は実話に忠実である一方、登場人物の名前や家族関係、出来事の描き方といった細部には明確な脚色がある。「どこが本当でどこが創作なのか」を切り分けて見ると、作品の作られ方がよく分かる。代表的なポイントを具体的に挙げていく。
ドラマは実在の人物名・社名をすべて架空の名前に置き換えている
最も分かりやすい違いは固有名詞だ。主人公は「亀山政春」(演・玉山鉄二)、ヒロインは「亀山エリー」(旧姓ヘンダーソン、演・シャーロット・ケイト・フォックス)とされ、竹鶴政孝・リタの実名は使われていない。勤め先の摂津酒造は「住吉酒造」、寿屋は「鴨居商店」、鳥井信治郎にあたる人物は「鴨居欣次郎」と改名されている。NHKは本作を実名の伝記ではなく、あくまでモデルを土台にしたフィクションとして制作しており、この改名はその方針を象徴している。
ドラマは家族構成や母親像を物語向きに作り替えている
人物設定にも脚色がある。史実の竹鶴政孝は四男五女という大家族の三男だったが、ドラマの亀山政春はより少ない兄弟構成に整理されている。また、政孝の実母・チョウは竹原の名家に育った物静かな趣味人だったと伝わるのに対し、ドラマの母・亀山早苗は、外国人の嫁を厳しく追い込む口うるさい姑として描かれる。嫁姑の葛藤という分かりやすいドラマ的対立を生むために、母親像が意図的に強調されていると読める。
ドラマは結婚を「反対を押し切る駆け落ち」的に劇化している
結婚に至る過程も脚色が見られる。ドラマでは、母の猛反対を黙殺して強行突破的に帰国する展開が描かれる。一方、史実の政孝はスコットランドから両親へ結婚の許しを請う手紙を送り、反対の返事が届いても、なおリタの人柄を伝える手紙を重ねていたとされる。実際には手紙で粘り強く説得を試みていたわけで、ドラマはそこをよりドラマチックな「反対を押し切る愛」の物語へと圧縮・強調しているといえる。
ドラマはヒロインの出自や人物像にも独自の設定を加えている
ヒロインの描写にも脚色がある。史実のリタはスコットランド・カーキンティロックの医師の家に生まれた女性だが、ドラマのエリーは「エリザベス・ヘンダーソン」という架空の名を与えられ、その来歴や家族関係は物語に合わせて再構成されている。また、明るく物怖じしないエリーのキャラクターは、視聴者が親しみを持って毎朝迎えられるヒロイン像として造形されており、実像のリタが持っていた繊細さや苦労の側面が、必ずしもそのまま前面に出ているわけではない。演じたシャーロット・ケイト・フォックスがアメリカ出身の女優である点も、モデルとなったスコットランド出身のリタとは異なる。役柄はあくまで創作上のヒロインとして立ち上げられている。
なぜそう脚色したのか|作り手の意図を読み解く
実名を避け、家族像や結婚の経緯に手を加える——こうした改変は、単なる事実の省略ではない。そこには連続テレビ小説という枠組みならではの狙いがある。作り手がなぜその選択をしたのかを考えてみたい。
実名を避けたのは創作の自由と関係者への配慮を両立させるためと考えられる
実在の企業創業者とその家族を描くとき、実名をそのまま用いれば、史実と異なる描写が「事実」と受け取られかねない。人物や社名を架空に置き換えることで、制作側は史実の細部に縛られず物語を再構成でき、同時に実在の企業・遺族への過度な干渉を避けられる。『マッサン』が「日本人技術者とスコットランド人の妻の夫婦愛を軸にした物語」として語られるのも、伝記ではなく普遍的な人間ドラマとして届けたいという意図の表れだろう。
母親像や結婚の劇化は「異文化の夫婦愛」という主題を際立たせるためと読める
『マッサン』の中心にあるのは、国も文化も違う二人が偏見を越えて結ばれ、支え合っていく姿だ。この主題を際立たせるには、二人を阻む壁が具体的に立ちはだかる必要がある。厳しい姑や、周囲の反対を押し切る決断は、その「乗り越えるべき壁」を視聴者に分かりやすく提示する装置になっている。史実では手紙で穏やかに説得していた過程も、映像では対立と決断のドラマへと翻案したほうが、夫婦の絆の強さがより鮮やかに伝わる。脚色は史実を歪めるためではなく、二人の物語の核心を観る者に届けるための選択だったと考えられる。
時系列の圧縮は朝ドラという放送形式に合わせた再構成といえる
連続テレビ小説は、半年をかけて主人公の人生を追う形式だ。数十年に及ぶ実際の歩みを限られた話数に収めるには、出来事の取捨選択と時系列の圧縮が避けられない。ウイスキーが完成するまでの長い雌伏や、りんごジュースで会社を支えた実際のエピソードも、ドラマでは物語のリズムに合わせて再配置されている。これは事実の軽視ではなく、視聴者が毎朝15分で追える物語へと組み替える、放送形式ゆえの必然的な再構成だといえる。
まとめ
『マッサン』は、竹鶴政孝とリタという実在の夫婦を土台にしながら、名前も細部も作り替えたフィクションである。だからこそ、ドラマを入り口に実像を知ると、物語の見え方が変わってくる。
竹鶴政孝の生涯という骨格は史実に忠実に受け継がれている
日本酒の家に生まれ、スコットランドで蒸溜技術を学び、寿屋を経て余市でニッカを創業する——この大きな流れは、ドラマも史実をしっかり踏襲している。留学、国際結婚、資金難、りんごジュース、そして念願のウイスキー完成という節目は、実際の竹鶴政孝の歩みそのものだ。名前こそ架空に置き換えられているものの、物語が描く一人の技術者の執念と、それを支えた妻の献身は、決して絵空事ではない。『マッサン』の感動の土台には、まぎれもない事実の重みがある。
脚色を知ることで実像とドラマの両方をより深く味わえる
一方で、実名の改変や母親像の強調、結婚の劇化といった脚色は、異文化の夫婦愛という主題を際立たせるための選択だった。史実を知ったうえで改めてドラマを見返せば、「ここは本当」「ここは物語のための翻案」と区別しながら、両方を味わえるようになる。竹鶴政孝とリタが実際に生きた道のりと、そこに作り手が込めた解釈——その二層を重ねて眺めることが、『マッサン』という作品をいっそう豊かに楽しむ鍵になるはずだ。

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